ミッサーシュミット臨戦態勢

笑いと性愛と美味しいご飯と犬が好き。毒親育ち&男尊女卑アレルギー。フラットで平穏な笑い多きパートナーシップ築いて行ける人と生きて行きたいです✨

探し当てた糸口。

 2つ前の記事で、心屋仁之助さんのことを書きました。 

misserschmitt2233.hatenablog.com

 

 心屋式を知った当時、認定講師の方々のブログにもお邪魔して、いいなあ、と思ったら、その後も時々、読みに行ってます。

 

その頃はまだFacebookを利用していませんでした。

それから少し経ったくらいの時、と或る、数ヶ月に渡るセミナーに参加した時、グループを作るからっていうことで、強制的に登録しました。

 

どうせそんなに使わないから、セミナー終わったら登録抹消しようと思ってたんですが、Facebookって、自分が投稿するだけが目的じゃなくて、とっても面白い発信をする方がたくさん居て、それがどんどん自分の所に流れて来るっていうことが分かって、すっかりハマってしまいました♡

 

書くのも好きだけど、読むのも大好きなので、実は自分に打って付けのシステムだったんだあって、食わず嫌いばかりしてないで、たまには誰かの言うことを訊く大切さをしみじみと感じました。

 

心屋認定カウンセラー・高橋かずえさん(通称カエル姉さん)という方のブログも面白くて、結構読ませて頂いてました。

 

昨日、Facebookのタイムラインに、誰かが「いいね!」したカエル姉さんの投稿が流れて来ました。

 

これを読んで…脳天にかかと落とし喰らったような気分になりましたΣ(゚Д゚)

 

ameblo.jp

 

 私、どうして自分が性愛学ぼうと思ったか、原点に立ち返れたような気がしました。

 

色々、お金について深く考えてみると、私にとっては「父からの愛情の象徴」のようなものだったんです。

 

でも父は家庭を裏切り、苦しんでいる家族を顧みず、財産を殆ど持って、離婚から2週間で新しい家庭を築きました。

もちろん本人からは何も伝えられず。

どうも母を良く思っていなかったと思われる、昔の知り合いからの、恐らく野次馬根性と「ざまあみろ」という気持ちに端を発した、密告(笑)で発覚しました。

 

母は大急ぎで区役所に住民票を取りに行きました。

 

父の新しい妻と、その連れ子である息子2人の名前が書いてありました。

あの衝撃、今も覚えてます。

 

どうしようもない怒りと悲しみ、もう生きていたくないという絶望感。

あそこから立ち直れて、本当に良かったな、と今も思います。

 

幸い私も母も、良い友達に恵まれていたので、精神崩壊寸前に追い込まれる前に、何とか戻って来られました。

 

そこからはまた筆舌に尽くしがたい葛藤の日々が長く続き、今も解決はしていないのですが、それでも私は私なりに、ちょっとずつ、家族には内緒で、父との溝を浅くしようと努力し続けています。

 

私が抱える男性問題が、この父との関係から来るものだけだったら、恐らく、色んな人とお付き合いしたり、結婚や出産を経験したり、ということも考えられたと思います。

 

ところが残念ながら、小学生の高学年の時、体の成長が早かった私は、一緒にお風呂に入っていた母方の祖父に、執拗に体を触られるという目に遭い、その時はもう、洒落抜きで、心が凍り付いて、死んでしまうのではないかと思いました。

 

相手は全然、悪気も罪悪感も無い。

こちらが傷付いたなんて思ってもいない。

もしこれを家族に言ったら、家庭が崩壊する。

私が悪者にされたら、生きて行けない。

 

知らず知らずの内に、男の人が怖くなっていました。

ずっと一生、自分はセックスと無縁で生きて行くのだと思いました。

 

長い間太っていたし、オシャレにも興味が無い振りをしていました。

丁度、思春期の間に、父の浮気問題も右肩上がりで大きくなっていたので、私の男性に対する嫌悪感は、ますます肥大して行きました。

 

男の人が嫌いだって思わないと、生きて行けない気がしました。

一度自分の心を壊された「性」に対して、気持ち悪さを感じていました。

 

だけど残念なことに、女性と言うのは、幾ら身なりに構わなくても、何らかの形で、「お前は女だ」と痛感させられるような目に遭うのです。

それも大抵、レベルの低い男性達によって(´・ω・`)

 

自己肯定力の低い女性ほど、女性を食い物にしようとする下らない男性のターゲットになりやすい、と聞いたことがありますが、これは本当だと思います。

 

但し、私は性的トラウマだけでなく、父から与えられた筋金入りの男性不信もあった為、全く男性に騙されることなく、今日まで生きて来られました。

 

あちらに他意は無くとも、男性という存在が怖くて、汚らわしく感じてしまう。

大学に行くのも、お仕事に行くのも、とっても辛い時がありました。

今も周期的に、嫌悪感が甦ります。

 

成人して数年経ったあたりから、友達には、このことを話せるようになりました。

但し、それが「祖父」のせいだと話せるようになったのは、本当に、性愛セラピスト養成講座に通うと決めた、4ヶ月ほど前くらいからです。

 

「そんなことでトラウマになる?」

と無邪気に訊いて来る人も居ましたが、こういう人は本当に理解出来ないだけで、そこに裏の意味も何も無いので、あまり気になりません。

嫌なのは、それをネタに、いじって来る人達でした。

 

一番辛いのは、母に打ち明けた時でした。

26歳くらいの時、一緒に観ていたドラマの暴行シーンが終わった時、

「ここまで酷くはないけど、本当に嫌な思い出がある」

と話しました。

 

自分の父親のことを悪く言われたと思ったのか、本当に何も感じなかったのか、母の反応は、とても薄かったのです。

でも後日、同じように性的に辛いシーンをテレビで見た時、私をからかうようなことを言って来た為、

「ママはきっと、セカンドレイプをするタイプやね」

と伝えると、絶句していました。

 

家族に味方は居ないし、友達に本当のことを打ち明ける勇気はない。

男性は信用出来ないのに、好きな人は出来るし、性欲はあるし、そんな自分が嫌でたまらない。

レイプされた訳じゃないんだから、私程度の傷で、甘えるのはおかしいのかもしれない。

 

心境は複雑でした。

精神的にもかなり不安定で、生きていて楽しいと思えることが、少なく、何故こんなに生き辛いのか、分かりませんでした。

 

ここ数年で、自分の心をきちんと見詰めると決め、仕事も解雇になり、お金も底を尽きそうになのに、性愛セラピスト養成講座を受講すると決め、4/9に初日を迎えました。

 

驚いたことに、その前日の4/8、痴呆症で入院中だった祖父が、天国に旅立ちました。

 

第1回目の講座を受け終えた後、私は深夜便で実家に帰り、通夜と葬式に出席しました。

 

あのタイミングは、何かの運命としか思えないのです。

意識はしていなかったけど、明らかに共依存になっていた母とも、精神的に距離をおこうと決めました。

 

私はずっと、辛かった。

女として生まれたことを、芯から受け入れられなかった。

愛する人を見付けて、心から信じて、愛を受け取って、男性から守られて、可愛い女として生きたかった。

 

本当に欲しいのは、やり甲斐のあるお仕事でも、たくさんのお金でもなく、大好きな男の人との、安心感のある生活だったのです。

 

手に入るかどうか、は、現時点では分かりません。

手に入れようと努力するしかないし、そして、手に入れてみせる、という、根拠の無い自信も、恥ずかしいことにあります。

 

怖いし、不安だし、倒れてしまうかもしれない。

正攻法なんか通じないかもしれない。

 

愛情を巡る戦いというのは、自分をどこまで愛して許せるか、によって、平和的に解決出来るのだろう、と、頭で分かっていても、まだ実感が全然湧きません。

 

この年齢でようやく、男性を信じようと決めた。

甘いかもしれないけど、決めただけでも偉いと、自分を褒めてあげたい。

 

私は、十分戦って来たと思います。

戦略も何も無く、負け戦ばかりでしたけど。

 

きっと、「これから」なんだと信じています。

そして、こんな未熟で甘ちゃんな私ですが、私をあざ笑う人とは、きっぱり縁を切って行こうと思います。