奪うこと、与えること。
裏切られたら、生命力を、精神力を削り取られたら、もう補充出来ないから、何も奪われたくない。
ずっと、恐れていました。
仕事をすることは、生きてる自分を消費すること、すり減らすことだと思っていました。
好きな友達と会う時は、それを感じません。
存分に与えて貰ったこともあるし、反対に与えて(貰って貰う、が正しい?)、ちゃんと後から自分で力を補充出来ていることもあるのに。
そこにはちっともフォーカス出来てなくて。
損得勘定も、上下関係も無くて、ただ単純に、そうしてるのが楽しいから、やってました。
この友達との人間関係の定義を、仕事場にも持ち込めばいいのかな、と気付いたのです。
小さい頃から、両親の機嫌を損なわないように心を配って、気を遣って、生命活動の為の資金の源である家庭を上手く回したいと必死になっていました。
しかも、最終的には、父のせいで失敗したし、一時は生きる希望を失い掛けたしね( ;∀;)
その時の疲弊感、徒労感、空虚感、喪失感、怒りが今も残っていました。
だから、「生命活動の維持=大いなる苦痛=仕事=死に繋がるもの」っていう思い込みが出来上がったのだ、と気付きました。
ごめんなさい、自分に甘いと思うけど、そりゃ、働くの、嫌になるよね…。
今はセラピストになる為の勉強もしてるから、1人で自分の内面と対話して、問題を明るみにして、この先はどうしていくか?を考える手法も知ることが出来ました。
行き詰った時には、誰かに頼ればいい、甘えさせて貰えばいい。
それを少しずつ出来るようになって来たのも、セラピストになろうと決めて、色々な人達に出会えたからでした。
生きづらさの奥には、どんな感情が隠れているのか。
その感情を植え付けた事物、人物は誰か。
たいていの場合、そこには家族のことが関係しています。
家族って本当に、人生で進む道の全てに影響があるのだなあ…と、驚いています。
人を癒せるようになる前に、まず、自分が何をしたら癒せるか。
それを知っておくことが大切だな、と感じます。