本当に怖い?
本日は紹介制の、死について語る会に参加して来ました♡
その後の懇親会も。
いや~有意義な会でした!
主催の方とも、参加者の方ともお話したのですが、言えることは、
「死について語れるということは、パワフルだということ。生きながらに死んでる人には、出来ないこと。
ということです。
確かにΣ(゚Д゚)と、目から鱗でした。
スタートから難ありの人生で、ずっと鬱状態と希死念慮と戦っていますが、それって実は、自分の人生を諦めず、真っ向から見つめ続けて戦っているからこそ、絶望感に囚われて、辛い思いをたくさんしてるってことなのかも…。
生と性と死って、実は凄く近しいもので、下手したら、表裏一体ってところがあるから、私は性愛にも真剣に取り組みたくなったんだろうな。
そう考えたら、ちょっと、自分のことが健気というか、失敗だらけで何も出来ない馬鹿だけど、ちゃんと一生懸命生きて来たんだなって、少し、愛しくなりました♡
ちゃんと楽しんで日々を過ごして、周りの好きな人達と幸せに生きて行きたいと思うからこそ、人生最大の不安である死を直視することから逃げないで、感情を殺さず、敢えて恐怖感を頂いたまま、今まで来たのかなあ、と。
孤独死を始め、ペットとの別離、理想の最期、生まれ変わりはあるのか?etc.を、思う存分、語り合いました。
先週、知り合いの死を知って、とても落ち込んでいたのですが、本人は決して不幸ではなく、寂しい感じがするのは、残された側の感情の問題なのだな、と、凄く腑に落ちました(*’ω’*)
何だ、死も、人生の一部であって、特別視するものではないのだ。
そんな考えが浮かびました。
もちろん、考えただけで、全然悟れてはいませんけれどもww
最悪、死ぬだけ。
そう。
人生って、それだけなんです。
どんなに立派な肩書があっても、功績を残しても、愛する人が居ても、憎む人が居ても。
皆、最後は死ぬんです。
苦しんで、切ながって、痛みに耐えながら死ぬのはとっても嫌だし、怖いけれども、意外とそんな時は、死が救いをもたらすかもしれない。
死は決して、絶望ではなく、希望に変わることもある。
生きている状態と、そんなに変わらないのかもしれない。
それならば、もうちょっと、しくじって、恥搔いて、泣いて、喚いて、惨めな思いをしても、大丈夫なのかな?
逆に希望が湧いて来ました( *´艸`)
また明日から、ブラック企業で激務の毎日ww
ヘトヘトになって、辛くて弱音吐きまくりなのでしょうけど、もしアレだったら、逃げたっていい。
でも、本当は今すぐにでも辞めたいけど、好きな人が仕事熱心な人だから、そんなにすぐ辞めるような根気の無い女性は嫌いだろうなあって思うから、もうちょっと頑張ってみようかな、と。
多分、今の仕事をなるべく続けていきたいって思う理由って、それだけだもんな(;’∀’)
人間って、単純だな。
でも、それが愛しいんだな。
頑張っているところを、誰かに褒めて欲しいんだな。
だから、辛い思いも耐えられるんだな。
今日でまた、人生に対する考え方が、少し変わったと思います。
この変化が、良い方向に作用して、もっと自分を大切に出来るようになれば嬉しいな(*’▽’)