毎日の生活に安らかな眠りを。
最初から、尾籠なお話になってしまうことをお許し願います<(_ _)>
小さいから私は、所謂“下”のコントロールが下手でした。
小学校に上がる直前まで、おねしょこそしませんでしたが、
「トイレに行きたい」
が言えない子供で、いつも日常の中でお漏らしをしてしまい、替えの下着が必要だったので、親をハラハラさせていました。
お漏らしがすっかり治った後は、こまめにお手洗いに行くことが必要な体質だということが分かり、1時間に1度は行っています。
水分の摂取量が人並み以上に多い訳では決してないのに…。
一年中、夜明け前には一度、尿意を催して目を覚まします。
飲酒していようといまいと、冷えていようと暑かろうと、それは変わりません。
そして、何故か、そんな時、すぐにお手洗いに行く為に起き上ればいいのに、
「いや、眠気がかなりあるのに、それを押してまで行くべきなのか…?放っておいたら、尿意は霧散して、また眠れるのでは?」
などと、毎回考えてしまいます。
結局、究極の生理現象が霧散することなんて無く、時間と共にお手洗いに対する思慕の念が強まるだけで、結局睡眠時間も削られてしまいます。
そして、後悔と諦めの気持ちを抱きながら、毎回敗北の思いを胸に、お手洗いに立つのです。
私は寝ることが大好きです。
もし、すぐに立ち上がって、睡眠を妨害する問題を取り除けば、スムーズな二度寝を楽しめるのかもしれない。
だけど、生まれ持った不安神経が、
「一度覚醒すると、また寝付くまでに時間が掛かり、眠れないという焦りと不安で押しつぶされそうになる…」
と泣き事を言うので、毎日切ない思いをしています。
ただ、この夜明けの二度寝待ちの、眠れない時間にこそ、オイルの調子も良くガンガンにスピードを出せるエンジンのように頭がとてつもなく回転して、色々と大切で重要なことに気付かされることが多いのです。
だから、苦難はあれど、何か得るものはあるなあ、と、どこかで不安を楽しんでいるような気がします。
うーん…何だか、これって、私の人生を集約しているような(笑)
今は病院で気持ちを鎮めるお薬も貰っているし、前よりは二度寝しやすくなったにも関わらず、やはり素直に、すぐに夜明けのお手洗いに立つことが出来ません。
「不安が無いと不安」
私の人生、この思いに支配されているのだと思います。
もしかしたら、死にたいと思うことすらも、原動力なのかも…。
昨夜、親友と語り合っていた際、
「18歳くらいからほぼ毎日死にたいって思いながらも、一生懸命生きてるって偉いよね。神様、毎日50万くらいくれたらいいのにww」
って不遜な発言をして眠りに就いた後、尿意によってまたお手洗いに立って、ハッと気付いたのです。
50万円どころか、それとは比べ物にならないくらい価値のある、“命”を毎日貰ってるじゃないか、と。
「生きてるだけで価値がある」
その言葉に間違いはないけれど、心の底からこの言葉を納得して、何の疑いも持つことなく、生きられている人は、少ないような気がします。
私もまだ全然、肚に落とし込めていないし、時には疑い、否定してしまう始末です。
不安を持つことで生まれる緊張感が無くなっても、大丈夫なんだよ。
もしそれを、体の奥底から感じられる生き方が出来るようになれば、どれほど幸せなことなんだろう。
貧乏でも、ブスでも、デブでも、不潔でも、馬鹿でも、嫌われ者でも、究極、生きているだけで、喜びを感じられるようになるのだろうか。
なんて、すぐに極端から極端に思考が走ってしまうのは私の悪い癖なのですが、1つ分かることは、今まで、相当無理して生きて来た、ということです。
ブログのタイトルに“臨戦態勢”って言葉がある時点で、生きてること自体が戦いっていう意識を持ってるってことだもんね(;’∀’)
心の錆や、心の垢、落としたいな。
そして、好きな時に好きなだけ眠れるような生活がしたいです♡