ズルい女。
カウンセラーとかセラピストとか、悩み苦しんでる人達の中にある才能を引き出して、生き辛さを軽減させて、日々を楽しく過ごす為の手助けが出来る仕事がしたい。
嘘偽りの無い本音だけど、ちょっと綺麗ごと過ぎるかな…と感じます。
正直、この願い通りに、「私」が「誰かにして欲しい」んです。
こんな仕事をしたいって思ってる癖に、
「お金が足りない」
「経験値が足りない」
「自分の能力が足りない」
って言い訳して、実行するのを先延ばしにしてる時点で、本気度が足りないな、と恥ずかしく思います。
言い訳をたくさん考え出して動かないのって、ダサいなって思います。
失敗とか恥とか惨めとか、他人様から見てどうか?にばっかりフォーカスして、じゃあどうやって課題や問題を解決して突き進んで行くか?を考えてない。
理想論を述べて自己満足&自己完結して、何かの役に立ちたいけど、事情があって出来ないっていう、善人っぽいイメージを持って欲しがっている。
結局私は、一番掘り下げないといけない、一番愛を与えて満たさないといけない自分に、真っ向から対峙することが、とっても怖いんです。
まず、自分を分析するのが、良い所を探そうとすることが面倒臭いって感じている時点で、かなり自己肯定力が弱い。
情けなくて臆病で、器の小さい人間だって知ってるから、それが周りに人にバレるのが怖い。
「中身が何も無い」ってバレたら、誰にも相手にされないんじゃないかって、恐ろしいんです。
だから、今はまだこんなだけど、将来はこんなことを考えてますよって、「どうか私を見捨てないで」って、上目遣いで、世の中に媚びているんだな、と思うと、がっかりしちゃいます。
頑張ろう、努力して問題解決しよう、迷惑掛けないようにしよう、何でも出来るようになろう、1人で生きて行けるようになろう。
そんな人間になれたら、きっと、自分にホッと出来るんじゃないかと思って。
でも実際は、出来ないんです。
自力で、深く深く自分の願いを知ろうともしないで、辛い日々を乗り切る為に、付け焼刃のポジティヴ思考でやって来ちゃったから。
今までの方法では上手く行かなかったってことだけは、本当に良く理解出来ています。
家族の中で、突っ張って、無理に自分に価値を付けようとして、嫌なこともやらなきゃって必死で頑張って来たことが、自分を愛することとは真逆だったって分かっている。
だからこれからは、誰かの助けを借りて、ちゃんと頼って、甘えて、泣きながら、恥を搔きながら、自分を愛せるようになればいい。
全て、まずはそこから。
もう私は、たった1人で戦うことは出来ません。
プロの力を借りたり、大好きな人達に弱音を聞いて貰ったりしないと、生命力も気力も持たない。
本音の本音が、
「もう頑張りたくない」
なんだから、そこを尊重して、何か良い方法が無いか探って行くしかない。
このままだと、また人生しくじる。
その予感がひしひししてます。
一番怖いのはやっぱり、自殺してしまわないか?ってこと。
これって、本当に死にたいのではなくて、ただ単に、
「愛されて生きていたい」
の裏返しだって気が付いたけど。
まだ私は、1人で出来なきゃって思い込み過ぎてて、折角問題を打破出来るのに、誰かに助けて貰って、「借り」を作っても、返せないんじゃなかって、それを怖がっています。
「借りを作ること=返すまでは相手のいいなり」っていう思考。
自分の人生を、誰かに委ねると、「何かを奪われる」「損をする」って気がして、だったら自分で何とかするわ、になってしまっている。
あ、これって、お金の問題と同じかも。
お金を掛けて育てて貰ったから、親には感謝して、なるべく言いなりにならなきゃいけなとか、ご馳走して貰ってるから、何か言うことを聞いてあげないと悪いとか、そういう罪悪感…。
だからお金も怖いし、遣い方も、受け取り方も下手だから、ちゃんと回せないんだ。
相手を信用&信頼出来てないってことは、自分を信じてないっていうこと(;’∀’)
これじゃ、幾ら性愛を学んでも、パートナーシップを構築出来ない。
自分を信じる方法、何があるんだろう。
それを知らないと、誰かに伝えられない…考えるだけ考えて、気になることをやってみて、会いたい人に会ってみながら、自分に合う方法を、探したいと思います。
逃げたい(笑)