生きてる内は死んでない。
家族や友達みたいに、自分が好きな人を何で好きかっていうと、
「私を愛して、優しく、時に厳しく、心を尽くしてくれるから」
だし、
「私が愛を与えることで、喜んで欲しい存在だから」
です。
好きな人と居ると、疲労感とか、損してる感じ、といった、“自分が消費されてる感”が、ありません。
もちろん、生活費の全てを見てくれる訳ではないし、一緒に仕事をしている訳ではないけど。
日々の生活の葛藤や、苦しさや、深い悩みの渦に巻き込まれて、じっと立ち竦んでしまう時、一番有り難く、大切なものは、“利害関係を度外視した、自分を思いやってくれる人の存在”が、どれほどの勇気を与えてくれるか…感謝しても、しきれないくらいです。
何度も書いていますが、私には、仕事に対して、相当な抵抗感があります。
Twitterにも、“お金が楽に手に入るなら働きたくない”とか、ゲスな発言を投稿している始末(;’∀’)
自分の中で、仕事に対して、“自分を消費&消耗&させて、命を削られる代わりに、お金を貰えるもの”という固い考えが、どうしても拭い去れないのです。
お金は命じゃないけど、持ってないと不安になる。
せめてギリギリの生活でもいいから、自分で最低限のお金を稼げる能力も気力も無い人間を、友達が呆れず、ずっと側に居てくれるだろうか、という、とてつもない恐怖感があります。
何で仕事をしようとしているか、というと、ただ単純に、“好きな人達とずっと、楽しく生きる為のお金が欲しいから”に他ならないような気がします。
良いものが欲しいとか、美味しいものが食べたいっていうのもあるけど、それは実は、二の次なんだろうな、と思います。
今回の最終面談を控えた会社の社長さんのことを色々考えている内に、自分の中に、仕事に対する新しい認識が芽生えて来るのを感じました。
それは、
「お給料を頂いて、今まで知らなかった知識や、やれなかったことがやれるようになる、という経験を得ることが出来るもの」
「ブラック企業にせよ、全然働いていて楽しくない会社にせよ、社会に参加出来ている、といえるツールであるのは確かだが、人間の命よりも大切なものでは、決してない」
というものでした。
何らかの経済的利益を生み出せたり、子供を作って育てたり、という、社会貢献が出来ていないと、それは無駄な、生かしておく必要の無い命なのでは?と、長年、そんな危ない思想に獲り憑かれていました(;’∀’)
マジで怖いです…自分だけならまだしも、結局こんな考えを持った人間は、もし他人様が同じ状況になった時、冷たく見下しまくるに決まってます。
だからこそ、ちゃんと自分の命の価値を、正しく知っておいて、根拠の無い自信で良いから、“私だって生きてたら、何かの役にたつもんね♪”って、思っちゃてていいんだな、と気付きました。
“情けは人の為ならず”っていう諺があるように、人に優しく、思いやりを持って接することって決して、その人の為じゃなくて、自分の為なんですよね。
ちょっと違うかもしれないけど、
「人の手助けが出来る自分、リスペクト(*’▽’)」
って、悦に入らせてくれるのは、その、手助けをした人に他ならない訳で…。
人間って、つい、色々と世話を焼ける力、経済力とか、判断能力とか、身体能力とかが高い方が偉いし、生物としての価値があるって考えてしまうけど。
言い方は悪いけど、どんなに、世に言う“スペック”が低い人間だって、尊重されたいという気持ちは持っているし、また、自分に何か出来ることが無いかな?って、必死に考えているものだと思うのです。
私は中身がスカスカだし、出来ることなんて、殆ど無いし、ましてやそれが、お金稼ぎに繋がるようなものではない、と、良く知っています。
だけど、心理学をもっと学んで、自分を掘り下げて、自分に嘘を吐かなくて良い人間になって、少し強くなれたら、そこからまた、もしかしたら、誰かの役に立てるかもしれない、という、希望と期待を持っています。
私が一番やりたいことは、“自分を知る為の勉強”。
その為に必要なのが、“したくない仕事をして、お金を稼ぐこと”。
勉強には、お金も体力も、時間も必要です。
経済的に恵まれていず、持病がある私は、そこも考慮して、仕事を選ばないと、本末転倒になってしまいます。
人並みに生きることが出来ない癖に、要求と権利の主張は一人前、と言われれば、ぐうの音も出ません。
その通りだな、と、素直に思います。
だけど、自分を蔑ろにしていると、他人は更に蔑ろにして来る、という経験もしているので、どんな状況でも、必死で、自分の守ろうと覚悟しています。
たかが仕事くらいで…という、生まれつき、仕事運に恵まれた方が、この世にはたくさん居ることも知っています。
残念ながら、私にはその才能がありません(;’∀’)
出来ないことを知っているからこそ、周りの皆さんに、助けを求めるのです。
何故なら、生きていたいから。
自分の可能性を、まだ捨て切っていないからです。
幸い、精神の弱さと裏腹に、体自体は丈夫です。
お酒をたくさん飲んでも異常を来たすことはありませんでした。
ただ、何故、大量飲酒が必要だったか?の理由に気付いたので、これからは、そこも改善して行けるように感じています。
今かじり始めた心理学の、1人で自分と向き合うワークを知ったからです。
お酒をたくさん飲んだ後、二日酔いに苦しみながら、素面に戻る過程で、今まで考えもしていなかった本音が、次々に湧き出て来ていました。
仕事の苦しさと、自分の存在価値への疑問への解決策を、お酒を飲みまくって自分を追い込んで、ギリギリの精神状態にして、必死で探していたのだと、最近知りました。
社会に上手く操られる人間が正しく、その流れに疑問を持たないことが正義だと思っていました。
けど、そんなことはなく、幸せな人はいつも、自分のことをちゃんと考えて、楽しく生きていました。
自分が楽しければ、嫌なものを自然に遠ざけるので、結果として、居心地が良くなるのだ、ということも知りました。
牛歩以下の歩みしか出来ない毎日ですが、自分を責める時間が減っているのは、とても嬉しいです♡
自分を信じられなくなる前に、進んで来た道を振り返れたことは、とても幸せです。
応援や、心配をしてくれる人達が居る。
きっと私は大丈夫。
その思いを胸に、生きて行きます。
さ、まずは、夕方から、最終面談、きっちりこなして来ます♡
【ミッサーシュミット、20代まで小説家志望でした♡( *´艸`)】
misserschmitt2323.hatenablog.com ※官能小説も連載中♡