ミッサーシュミット臨戦態勢

モットーは性=生=死。親から精神的な自立をして、素敵なパートナーシップを築いて、楽しく笑って死ぬことが、最高に幸せだと思ってます(*'▽')当ブログはリンクフリー。記事のシェア&Facebook友達リクエストやTwitterのフォロー大歓迎です💛

この瞬間に、賭ける価値。

お仕事探し、まだまだ続行中…。

 

次回の最終面談、上手く行くにしても行かないにしても、ちょっとだけ、自信が付いたから、凄く嬉しかったです♡

けど、今回の面談で、今探してる職種って、やっぱり向いてないかもって気付いたから、また一から計画組み立て直しだな(;’∀’)

 

今までの私は、相手のニーズに応えられないことに罪悪感を持って、自分の足りないところを責めて責めて責めぬいて生きて来ました。

 

幸い、仲の良い友達に対してはそんなことは無いのですが。

家族、仕事、好きになった男性に関しては、もう、ずっとずっとそれを繰り返して来て…自分を嫌いになって、この世から消えてしまいたいって思っていました( ;∀;)

 

相手から褒められない自分。

相手から認められない自分。

相手から必要とされない自分。

相手に失望感と不快感を与えた自分。

 

自分が、本当にそれを好きか、それをしたいか、そうなることを望んでいるか。

お金や性が介在する場で、そんなことは考えてはいけない、とすら考えていました。

 

私を信じて、選んでくれた。

ならば、その期待には命懸けで、自分の心は二の次で、応えなければ。

求められる条件を満たすことが絶対で、“やれない&出来ない”は全て自分に非がある。

どうしても出来ないことがあるのでお詫びして、納得はして貰えても、その後はずっと、自分は死んじゃった方がいいのかな??という気持ちに責め苛まれる。

 

たった数ヶ月前まで、こんな生き方をしてました。

今も完全に抜け切ってはいないし、こういう考え方をするのが、100%悪だとは思いません。

 

だけど、何故あんなにも、生きることが苦しかったのか、分かって来ました。

 

私は、好き嫌いは別にして、利害関係が生じる相手に対しては、常に自分の方が身分が低くて、悪者だと思っていました。

上司が男性の場合は、性差があるので、まだ理解出来なくても仕方ない、という諦めがありましたが、女性の場合は、何故??どうして??と、考えてしまいました。

 

逆を言えば、私も相手に期待し過ぎていました。

自分の考えも要求も述べられないのに、“察してよ(# ゚Д゚)”って、思い過ぎていました。

 

これが所謂、被害者意識ですねorz

 

自分の価値を、自分が信じられていないから、他人の無茶振りに、真っ向から反対出来なかった。

そして、与えて貰ったものを、素直に受け取れなかった。

 

お金を頂くのは、私の労働力と時間を提供してる代償。

男性が私に時間とお金を遣って、ベッドに入るのは、相手も楽しいから。

 

他人同士だから、全部分かり合える訳じゃないので、トラブルも起きます。

ただ、そこでも、どちらかが100%悪いっていうことは有り得ないのに、いつも、相手よりも自分の方が、自分を強く責めていました。

 

立場は違えど、人間としては対等で、価値の高低差なんて無い。

お金をいっぱい持ってる人、雇用が出来る人、モテる人が、必ずしも、“そうじゃない人より偉い”とか、そうじゃない人より幸せ”とは限らない。

 

私は思春期に、自分の人生を呪ってしまいました。

幸せになりたいとか、楽に生きたいって強く強く願っていたのに、その度に呪いが邪魔をして、

「お前みたいな価値の低い人間が、そんな高尚な世界に行けるもんか(# ゚Д゚)」

って、考えてしまっていました。

 

前職で不当解雇に遭いましたが、その道筋を作ったのも私でした。

自分の価値を認められなかったから、自分をきちんと守れなくて、そのことが許せなくて、とてつもなく落ち込んで、気力を失くして。

 

ギリギリまで落ちる寸前で、これ以上自分で自分を傷付けたら死ぬなっていうところまで来て、やっと、“最後の生命力の定期預金”を崩そうという決意が固まりました。

 

それが、“性のトラウマに向き合い、性愛を学び、生物として、本能の力を高めて、楽しく生きる”ことでした。

 

幸い、この賭けは吉と出ました。

十数年来の親友にも、良い風に変わった、と言って貰える程に(*ノωノ)

 

「自分の価値を信じること」

 

それは、子供の頃から両親の顔色を伺って生きていた私にとっては、最大のタブーでした。

 

とても怖かったし、自信があった訳ではありません。

だけど、やってみて良かった、と、今、心から感じています。

 

誰かと争う必要も、自分と違う意見との折り合いを付ける必要も無く。

ただ、好きか嫌いか、欲しいか欲しくないか、それだけを、ちゃんと自分の為に考えること。

 

協調性とはまるで反対の考え方ですが、“自分は自分”と思えるようになると、“他人は他人”という風に、公平な目線で受け入れられるようになりました。

 

当たり前のことかも知れないけど、今になってやっと、ようやく、

「自分の存在って、大切なんだな」

と、理解出来ました( *´艸`)

 

私は今まで、そうしなければいけない、という義務感からしていただけで、本当の意味で、他人を尊重出来てなかったのかもしれません。

 

自分に価値を見出せない人間に、他人の価値を見出せる訳が無く、他人をも、自分の負のフィールドに引き釣り混んで、その人を低く見積もっていたのだろうか、と思うと、ゾッとしてしまいます(; ・`д・´)

 

今まではきっと、魂が抜け掛けたまま、体と頭だけで、無理をして生きて来たのだな、と思うのです。

「性愛」という、本能に直結した軸を取り戻そうと思えたことで、何とか再び、魂が体の中に引き戻せました。

 

体や心の不調は、本能を押し殺して、自分に嘘を吐いて、自分を痛め付けている時に現れます。

決して、“弱さ”“甘さ”“努力不足”ではありません。

 

仕事をしていると、休息を取ること、立ち止まることにとてつもない苦痛と心労を

伴うことは良く理解出来ます。

だけど、“自分を責め続けて死にたくなる”という状態が、異常事態だと判断出来なくなっていることは、生命の危機で、既に瀕死状態なのです。

 

私だけではなく、他人のことを優先して、苦しみながら生きている人がたくさんいると思います。

 

別に、自分と同じように休養期間を取れとか、性愛を学べとかは思いません。

ただ、私のように、どん底に落ちそうになるまで苦しんだ人が、ほんの少しでも、自分を大切にしようと決意してくれれば、と願うだけです。

 

何故、自分には価値が無いと思ったか、その原因を探る時間を設けるのも、とても大切です。

お金が無くても、愛し愛される関係の相手が居なくても、それは1人で出来ることだからです。

 

人生のスタートは、まず自分。

 

それを知らずに、粗悪なガソリンを必死で補給して、ここまで突っ走って来ました。

でも、これからは変わります。

 

死ぬまで、あとどのくらいの時間があるか分からないから。

 

自分の愛するもの、欲するもの、心が躍るものに、命を懸けて生きて行きます♡

きっと、これから先は、同じような考えの人に、たくさん囲まれる人生になると信じています(*’▽’)

 

  

【ミッサーシュミット、20代まで小説家志望でした♡( *´艸`)】

misserschmitt2323.hatenablog.com          ※官能小説も連載中♡