この瞬間に、賭ける価値。
お仕事探し、まだまだ続行中…。
次回の最終面談、上手く行くにしても行かないにしても、ちょっとだけ、自信が付いたから、凄く嬉しかったです♡
けど、今回の面談で、今探してる職種って、やっぱり向いてないかもって気付いたから、また一から計画組み立て直しだな(;’∀’)
今までの私は、相手のニーズに応えられないことに罪悪感を持って、自分の足りないところを責めて責めて責めぬいて生きて来ました。
幸い、仲の良い友達に対してはそんなことは無いのですが。
家族、仕事、好きになった男性に関しては、もう、ずっとずっとそれを繰り返して来て…自分を嫌いになって、この世から消えてしまいたいって思っていました( ;∀;)
相手から褒められない自分。
相手から認められない自分。
相手から必要とされない自分。
相手に失望感と不快感を与えた自分。
自分が、本当にそれを好きか、それをしたいか、そうなることを望んでいるか。
お金や性が介在する場で、そんなことは考えてはいけない、とすら考えていました。
私を信じて、選んでくれた。
ならば、その期待には命懸けで、自分の心は二の次で、応えなければ。
求められる条件を満たすことが絶対で、“やれない&出来ない”は全て自分に非がある。
どうしても出来ないことがあるのでお詫びして、納得はして貰えても、その後はずっと、自分は死んじゃった方がいいのかな??という気持ちに責め苛まれる。
たった数ヶ月前まで、こんな生き方をしてました。
今も完全に抜け切ってはいないし、こういう考え方をするのが、100%悪だとは思いません。
だけど、何故あんなにも、生きることが苦しかったのか、分かって来ました。
私は、好き嫌いは別にして、利害関係が生じる相手に対しては、常に自分の方が身分が低くて、悪者だと思っていました。
上司が男性の場合は、性差があるので、まだ理解出来なくても仕方ない、という諦めがありましたが、女性の場合は、何故??どうして??と、考えてしまいました。
逆を言えば、私も相手に期待し過ぎていました。
自分の考えも要求も述べられないのに、“察してよ(# ゚Д゚)”って、思い過ぎていました。
これが所謂、被害者意識ですねorz
自分の価値を、自分が信じられていないから、他人の無茶振りに、真っ向から反対出来なかった。
そして、与えて貰ったものを、素直に受け取れなかった。
お金を頂くのは、私の労働力と時間を提供してる代償。
男性が私に時間とお金を遣って、ベッドに入るのは、相手も楽しいから。
他人同士だから、全部分かり合える訳じゃないので、トラブルも起きます。
ただ、そこでも、どちらかが100%悪いっていうことは有り得ないのに、いつも、相手よりも自分の方が、自分を強く責めていました。
立場は違えど、人間としては対等で、価値の高低差なんて無い。
お金をいっぱい持ってる人、雇用が出来る人、モテる人が、必ずしも、“そうじゃない人より偉い”とか、そうじゃない人より幸せ”とは限らない。
私は思春期に、自分の人生を呪ってしまいました。
幸せになりたいとか、楽に生きたいって強く強く願っていたのに、その度に呪いが邪魔をして、
「お前みたいな価値の低い人間が、そんな高尚な世界に行けるもんか(# ゚Д゚)」
って、考えてしまっていました。
前職で不当解雇に遭いましたが、その道筋を作ったのも私でした。
自分の価値を認められなかったから、自分をきちんと守れなくて、そのことが許せなくて、とてつもなく落ち込んで、気力を失くして。
ギリギリまで落ちる寸前で、これ以上自分で自分を傷付けたら死ぬなっていうところまで来て、やっと、“最後の生命力の定期預金”を崩そうという決意が固まりました。
それが、“性のトラウマに向き合い、性愛を学び、生物として、本能の力を高めて、楽しく生きる”ことでした。
幸い、この賭けは吉と出ました。
十数年来の親友にも、良い風に変わった、と言って貰える程に(*ノωノ)
「自分の価値を信じること」
それは、子供の頃から両親の顔色を伺って生きていた私にとっては、最大のタブーでした。
とても怖かったし、自信があった訳ではありません。
だけど、やってみて良かった、と、今、心から感じています。
誰かと争う必要も、自分と違う意見との折り合いを付ける必要も無く。
ただ、好きか嫌いか、欲しいか欲しくないか、それだけを、ちゃんと自分の為に考えること。
協調性とはまるで反対の考え方ですが、“自分は自分”と思えるようになると、“他人は他人”という風に、公平な目線で受け入れられるようになりました。
当たり前のことかも知れないけど、今になってやっと、ようやく、
「自分の存在って、大切なんだな」
と、理解出来ました( *´艸`)
私は今まで、そうしなければいけない、という義務感からしていただけで、本当の意味で、他人を尊重出来てなかったのかもしれません。
自分に価値を見出せない人間に、他人の価値を見出せる訳が無く、他人をも、自分の負のフィールドに引き釣り混んで、その人を低く見積もっていたのだろうか、と思うと、ゾッとしてしまいます(; ・`д・´)
今まではきっと、魂が抜け掛けたまま、体と頭だけで、無理をして生きて来たのだな、と思うのです。
「性愛」という、本能に直結した軸を取り戻そうと思えたことで、何とか再び、魂が体の中に引き戻せました。
体や心の不調は、本能を押し殺して、自分に嘘を吐いて、自分を痛め付けている時に現れます。
決して、“弱さ”“甘さ”“努力不足”ではありません。
仕事をしていると、休息を取ること、立ち止まることにとてつもない苦痛と心労を
伴うことは良く理解出来ます。
だけど、“自分を責め続けて死にたくなる”という状態が、異常事態だと判断出来なくなっていることは、生命の危機で、既に瀕死状態なのです。
私だけではなく、他人のことを優先して、苦しみながら生きている人がたくさんいると思います。
別に、自分と同じように休養期間を取れとか、性愛を学べとかは思いません。
ただ、私のように、どん底に落ちそうになるまで苦しんだ人が、ほんの少しでも、自分を大切にしようと決意してくれれば、と願うだけです。
何故、自分には価値が無いと思ったか、その原因を探る時間を設けるのも、とても大切です。
お金が無くても、愛し愛される関係の相手が居なくても、それは1人で出来ることだからです。
人生のスタートは、まず自分。
それを知らずに、粗悪なガソリンを必死で補給して、ここまで突っ走って来ました。
でも、これからは変わります。
死ぬまで、あとどのくらいの時間があるか分からないから。
自分の愛するもの、欲するもの、心が躍るものに、命を懸けて生きて行きます♡
きっと、これから先は、同じような考えの人に、たくさん囲まれる人生になると信じています(*’▽’)
【ミッサーシュミット、20代まで小説家志望でした♡( *´艸`)】
misserschmitt2323.hatenablog.com ※官能小説も連載中♡