どうしてお金が怖いのか?
たくさんお金を稼いだら、親にたかられると恐れていました。
自分でふんだんに稼いでから言えっていうお話ですがww
しかも、今までそんなことは無いし、寧ろ実家に帰ったら、経済的にはお世話になることが多いのに(;゚Д゚)
一族的に、前の世代の方がお金持ってて、子供は成長しても貰えるのが当たり前だったけど、我が家はその流れが破綻したから、とてつもない恐怖を覚えたのかもしれません。
あとは、怒りを。
「他の親戚はお金持ちのままなのに、私は親から貰えないんだ…鬱で苦しいのに、必死で命削って働かなきゃならないんだ(# ゚Д゚)」
っていう。
小さい頃から、両親のコミュニケーションも上手く行ってなかったし、どうも富の流れに滞りを感じていたから、
「うちはいつか破産するんじゃ…( ;∀;)」
って思って、その当時はそこそこ恵まれてたのに、全然その恩恵に感謝していませんでしたorz
祖父母はもっとお金を持っていたけど、自分達や誰かの楽しい時間を作り出す為とかではなく、不満と怒りと悲しみを解消する為に、
「何故そのような遣い方…?」
と感じるような出費が多かった気がします。
お金の心配、今に始まったことじゃありませんでした。
今が一番持ってないけど、精神的な揺らぎは一番少ないのです。
死にたいという気持ちが涌く頻度も、ここ1ヶ月くらいが、今までの人生で一番低いのです。
不思議なものだな…と思います。
これまでは、お金のことをどこか、マウンティングとか、見栄とか、自分に向き合う手間を省いて悲しみを強制的に排除するための道具として、負の感情を助長するものだと考えていたんだろうな、と思います。
そして、良く言われていることですが、”何かに対する我慢料””苦労の先にやっと手に入れるもの”という認識を持っていました。
かなり強固な思い込みにより…ブラック&グレー企業ばっかり行って、低賃金で、体壊してばかりいました(;’∀’)
結果、鬱は言えず、お酒の量は増え、貯金残高は何年も増えないどころか、どんどん目減りする一方ww
年だけは重ねるのに、死にたいという気持ちは相変わらず消えず、老後の不安は尽きませんでした。
お金“さえ”あれば幸せっていうことは”絶対”に違うもんなあ、と、今は思えるようになって来ました。
ようやく、心底から、それを感じられています。
悲しみとか不安とか怒りとか戸惑いばっかりじゃ、人は死んじゃうから。
お金より先に、自分と相手を思う気持ちとか、信じる気持ちとか、そういうところのメカニズムを、ちゃんと整えることだな、と。
これが安定していれば、それこそ残高0でも、家が無くなっても、例え病気になったとしても、大丈夫なんだろうな。
まず心と体という土壌のメンテナンス。
土壌に栄養が行き渡っていれば、定期的な手入れをしてあげると、蒔いた種が大きく育って、お金とか、プラス感情とか、そういう良いものがたくさん収穫出来る。
まだまだ発展途上で、
「お前が言っても説得力無いし、綺麗事じゃん!(# ゚Д゚)」
と、批判される覚悟で書きましたww
読んで下さる方の中に、少しでもヒントとして受け取って頂ける方がいらっしゃると嬉しいです♡