「傍に居たい」は「好き」でいい♡
敢えて《全て》と言い切りますが。
今まで好きになった男性は全て、とても寂しそうな人ばかりでした。
ああ、寂しそう。
気持ちが明るくなるように、何か私に出来ることは無いかな。
私も寂しいから、気持ちが分かるよ。
そういうマイナスの感情発信の恋心しか抱けない自分に、いつも×を付けながら、それでもやっぱり相手を好きで、とても苦しい思いをしていました。
これは同情であって愛じゃない、与えられるばかりか、私も相手から、奪おうとしている、と。
だけど。
好き、に、上等も下等もない。
例え同情や興味本位だとしても、生理的に“嫌いだ”と感じた相手を、長い間思い続けることは出来ないのだから、それは間違いなく、愛情なのです。
今回とっても好きになった人も、今の、超絶ブラック企業の社長や室長ですら(;’∀’)
私はきっと、辛そうな思いを抱えながら、それでも必死で鎧兜を付けて戦ってる人に、男女を問わず、弱いのです。
同病相憐れむ、と言われてしまえばそれまで。
それでも、構いません。
拒否でも受容でも、選択肢は相手にある。
私は、ただ、愛を示せばいいだけ。
前向きで明るい、ポジティブな感情から始まったものも、どん底で必死でもがいている時に藁をも掴む思いで握りしめて始まったものも、恋は恋。
愛情は愛情です。
今まで、ずっと、愛情に貴賎のランクを付けて、勝手な善悪の基準から、自分を罰して生きて来ました。
この度好きになった男性は、そういう理屈抜きで、
「うるさい!私が好きなんだ!寂しそうに見えた、が始まりで何が悪い!ずっと側に居たいんだよ!(# ゚Д゚)」
って、訳も無く、心の壁を打ち破れたし、好きになったことを、恥じたり悔いたりしませんでした。
だから、私は、今もあの人が好き。
そして、自分のことも、少し好きになれました。
それなのに、“こんな始まりでいいのか…”っていう迷いや戸惑いを、毎回、相手に伝えてしまっていたのです。
別に、良いのに、って、今やっと、思えます。
人は、愛からでなくても、同情からでも、憎しみからでも、切なさからでも、恐れからでも、痛みからでも、愛を生み出すことが出来るのです。
愛情から生まれた愛がエリートだとしても、その他に、後ろめたい感情から生まれた叩き上げの愛情があって、どちらも同じくらい、尊いし、優しいし、輝いている。
だから、人間は、素晴らしいのです。
長い間、本当に、本当に、辛かった。
自分を苦しめるもの、愛情を与えてはくれないものに、ずっと囲まれて生きて来た。
だけど、そこを離れられなかったのは、その場所を、自分が愛していたからに他ならない。
呪縛が、解けるような気がします。
誰も私を、故意に苦しめてはいなかった。
ただそこには、自分の愛があっただけでした。
何故辛くても、生きるのか、と言われたら、答えは、「愛したいから」なのだな…。
嘘臭いし、綺麗事のように感じるけども、これはきっと、世界中全ての人達に共通のものだと思います。
これからもずっと、愛することが出来る。
相手のことも、自分のことも。
2016年最後に、神様が、素敵なプレゼントをくれました♡
来年から、いえ、今日から、私の人生、変わります(*’▽’)
皆さま、今年1年、本当にありがとうございました。
6月からブログを始めて、半年が過ぎました。
嬉しいコメント、たくさん頂きました。
顔も身の上も知らない方々と、愛情の交歓をすることが出来ました。
どうか、良いお年を!
来年も、どうぞよろしくお願いします♡