何にでも理由を付けなきゃいけないなんて法律は無い♡
割と小さい頃から、「死という概念」とお隣さんのような感じで付き合って来ました。
自己嫌悪と恐怖と悲しみの結果、そうなってしまったのだと、そのことを不幸に感じていました。
10日前の日曜日に、死生観を語る会に参加してから、色々と、死について、新たな気持ちで向き合うようになりました。
参加者のお1人に、恋人も居ないし&結婚もしていない私が、1人で死ぬのが怖いと話したのですが、その時に頂いたお言葉が、今も心の中に反響しています。
「そんなに、今の人生も、悪くないって思った方がいいよ。何が無いから不幸ってことはないよ」
私は色んな目に遭って来て、それでも運とご縁には恵まれたから、何とか今日まで、頑張ってこれました。
それでも、本音では、自分の人生は不本意なことがいっぱいで、周りの人の恵まれている部分が目に入って、辛くて悲しくて、やっぱり自分の人生は碌でもないんだって、絶望してしまいそうになることが多かったのです。
親よりも幸せになってしまったら、親に愛して貰えないっていう意識もどこかにあったし、どうせスタートからまともな環境じゃなかったので、幸せにはなれないんだって、ずっと思っていました。
少しずつ、そうじゃないんだって考えることを、自分に許せるようになって来た時に、その言葉が、自分の元にやって来ました。
例え本当に不幸な出来事が起こっても、それを不幸と捉えるかどうかは自分の自由なのだということを、私は知りませんでした。
同情を買うことの多い人生だったと、素直に思います。
周りは優しい人が多いから、分かりやすく情けを掛けてくれるようなことはありませんでしたが。
今の私は、仕事も辛いし、好きな人には大切にして貰っているという実感も無いし、お金もあまり持っていません。
それは全て、過去から引き継いだ“今”なんだと思っていました。
だけど、もう変わりたいと思います。
過去は過去、今は今、未来は未来として、その瞬間を、ちゃんと感じながら生きて行きます。
誰に不幸と思われても、私は自分を、不幸にしません。
そして、“死ぬ”ということは、“生きる”と同じくらい、尊くて、素晴らしい、人間の営みなのだと、そう考えて生きて行くことに決めました。
周りの人間の中では、一番真剣に死と向き合って来たと、傲慢にも考えていましたが、そんな私が一番、死を軽んじていたような気がします。
それが一番、辛くて苦しいことだったのかもしれません。
生きていれば色々ありますが、全ての人に共通しているのは、生まれて死ぬことだけ。
死なない人間なんて居ません。
だから、その瞬間をも愛おしむのだと決めることが、幸せに生きることに繋がるのではないかと、さっき、突然そう思いました。
何やかやと、賢い人ぶって、悩んで、泣いて、自分に酔っていましたが、もう疲れましたww
昨日のブログに書いた、アルバイトさんが、今日、ぎっくり腰でお休みして、もう来ないんじゃないかって思って、不安で、そして、羨ましかったのかもしれません(;’∀’)
自分に嘘を吐くなよって、全ての出来事が、教えてくれてるんですね♡
明日は、今日よりももっと、幸せな楽しい時間がたくさんありますように。
皆さま、今日もお疲れ様でした~(*’▽’)