鬱を責めても、治らないよ。
パンドラの箱…いや、良い意味で。
先週、こちらの記事で、買って読んだ本を紹介させて頂いたのですが、1冊だけ、未読の本がありました。
misserschmitt2233.hatenablog.com
それがこの1冊↓
勇気を出して、
「私、何で自分が死にたいって思うかちゃんと知りたい!(; ・`д・´)」
「そして、自分のこと、死なないで済むように、助けてあげるんだ!(‘ω’)ノ」
って思って、ドキドキしながら買ったのは良いものの…。
読み出す覚悟が決まるまでに、少し時間が掛かりました(;’∀’)
連休最終日の昨日。
「いや、これは、もう、そろそろだよね」
って思ったので、恐る恐る1ページ読み進めたところ。
もう“開けたら最後、I can stop!!”状態でした。
いや~…一文一文、もう、私のことを書いてくれてるようで…。
鬱って、本当に、こんなにも厄介なんだなあ、と、改めて。
分かりやすく鬱のメカニズムについて書かれているだけでなく、健常者の方と患者の方の思考と感情のズレや、“甘え”と思われてしまう悲劇についても、とっても良く理解出来るように書かれています。
本当は、鬱の人を支える、周囲の人達の為の本なんですけど、お恥ずかしながら、私は家族を頼りに出来ないし、パートナーも居ないし、ちょっと二重人格気味なところがあるから、自分の姿を、第三者的目線で見詰めたら、絶対自分の為になるだろう、と、期待を込めて読みました。
嬉しいことに、その目論見は、大当たりでした♡
もし、読者様の中に、ご自身が鬱で、周りのケアもあるのに、どうしても抜け出せなくて、何とかしたい!ともがいておらえる方がいらっしゃったら、この本、お勧めです。
ケアして下さっている方に読んで頂いても、そして、勇気と気力があれば、ご本人が読まれても、きっと、役に立つと思われます。
「死にたいよう( ;∀;)自分なんて、役立たずだから、居なくなった方が、周りの為になるんだよう( ;∀;)」
って思う仕組みが、良く分かります!
鬱、本当に、悲しい、怖い病気です。
理解されにくいし、回復の目途が立ちにくいし。
でも、誰しもが罹る可能性のある病気だから、決して、他人事ではないので、今は何ともない方も、もし経済と時間に余裕があれば、一度読んでみられることをお勧めします。
介護をされてる方にも、きっと、役に立つと思います(*’▽’)
もちろん自分ひとりの力では決して無理だったけど、私、良く、今日まで、頑張って生きて来ました!
今までそういうのが恥ずかしかったけど、もう自分で言っちゃいます♡
正直、生き地獄みたいな超ピークを越えたとはいえ、寛解(鬱に“完治”は無い、という考えからこういう言い方をします)状態を経て、定期的に鬱の波に飲み込まれそうになり、そこから必死で抜け出して…を繰り返して来た人生。
自分を責めて責めて責めまくって来たけど…もう、止めようと思います。
私、良く戦って来たよ。
偉かったよ(*’▽’)
最初から最後まで、心の中で頷きまくりながら読み進めていましたが、一番心に深く沁みたのは、この文章でした。
『死にたい気持ちを持つうつ状態の人と接していて痛感するのは、その人たちの心の強靭さです。彼らは自分が弱っているにもかかわらず、さまざまな苦しみから決して逃げようとはしなかったのです。今も死にたい気持ちと戦い続けています。心が弱い人はうつ状態にはなれないのです。』(P.93)
そうかあ、私、心が弱っちいから、鬱になったんじゃないんだ(‘Д’)
寧ろ、強かったんだあ…。
何か、安心しました♡
戦ってるってことを理解してくれる人が居る、って、知ることが出来て、とっても嬉しい♡
学生時代からの親友も、私に昔、
「ミッサーシュミットは戦ってんじゃん」
って、言ってくれたことがあって…。
今もとっても、優しく接してくれます( *´艸`)
不登校~鬱~パニック症候群に陥り、今でも感情の波によって、1日の大部分の時間を“死にたい”という気持ちとの戦いに費やしてしまう私が、様々な波乱はあれど、今日まで、求職活動が出来る程度の健康を保ちながら生きて来られた訳。
はっきり言って、それは、“運”と“ご縁”に恵まれたから、に、他なりません。
そう、運が良かったんです。
元々、肉体的には健康ですし、幸い、友達を作れ、仕事場でも(ブラック企業ではない限り)同僚や上司と上手く働ける、コミュニケーション能力がありました。
そして、勉強好き、という特性故、高校時代、まさに受験期の不登校の最中、中退とは言え、有名大学に入れる学力があった。
一気に財産が無くなったとはいえ、母のまだ働ける年齢で、妹も職があり、私も、父からの援助を貰い、それを打ち切られる、ということはありましたが、それこそ他人様の優しさと思いやりと励ましのお蔭で、それからも、細々と、何とか、生きて来られました。
本当に、紙一重、なのです。
だから、決して、自殺した人を、責められません。
運が悪かった、丁度、死ぬのに最適なタイミングが訪れてしまったんだ、と、残念に感じるし、明日は我が身、と思うと、ゾッとしてしまいます。
本の中にも繰り返し書いてありますが、自殺は、残念ながら、100%防げません。
だけど、残された人達は、もし、鬱のメカニズムを理解出来ていれば、自分のことを責める時間が、短くて済むと思います。
私だけでなく、周りにも、鬱の経験者や、現在投薬治療をしている人が、結構居ます。
“死にたい”とまでは思わないにしても、“何の役にも立てて居ない”と、自分を責めながら生きるのは、相当、辛いだろうと思います。
幸い、私の周囲の、近い所では、まだ自殺した人は居ません。
昔、未遂をした、と、本人から聞いたことはありますが、決定的な死に至った人は居ません。
命って、本当に大事なの?
人間の価値って、何なの?
自分なんて、生きてて、いいの?
鬱は、人の存在価値を、根源から揺さぶります。
日本の人は、特に自己肯定力が低いので、例えケアする人は健常者でも、なかなか、鬱の人の本当の不安を、根っから覆してあげることは難しいと思います。
生きるということは、もう、それだけで、とてつもなく頑張ってるっていうことなんです。
本当はそれだけで、生活全般に心配が無ければ問題は有りませんが、そうはいかないから、色々苦しいんです。
どんなに苦しくても、辛くても、困難に感じても、まず、自分を大切にして、ちゃんと愛するのを、大切なことだと学ぶこと。
周りは、他人は、そして、例え血の繋がった家族でも、自分を救ってくれる、とは限らない。
だけど、自分を見詰めて、出来ないこと、やれないことが分かると、色んな人に、ちょっとずつ助けて貰うことを覚えるから、何とか、孤独の状態で頑張らなくて済みます。
死ななきゃいけない人なんて、居ない。
生まれた来た、ということは、ちゃんと意味がある。
私ミッサーシュミット、鬱になり、そして、36歳にして、初めて、“死にたい”気持ちに真っ向から対峙して、その意味が、分かりました。
私には誰も救えないけど、これだけは言えます。
役に立とう、とする前に、まず、自分を愛そう。
他人の為に、を考えるのは、それからでいい♡
甘えだって責めて来る人が居て、傷付いても、無視して、自分に、優しくしてあげて下さい。
自分の味方であり続けて下さい。
あなたを好きな人は、あなたが自分を大切にしてる姿を見て、喜んでくれるはずです。
私も、戦い続けます♡
自分のこと、幸せにしたいから( *´艸`)
もうぶっちゃけ、その為だけに、生きて行こうと思います(笑)