ミッサーシュミット臨戦態勢

笑いと性愛と美味しいご飯と犬が好き。毒親育ち&男尊女卑アレルギー。フラットで平穏な笑い多きパートナーシップ築いて行ける人と生きて行きたいです✨

自分を守ることを、言い訳だ!と責めていた。

私ミッサーシュミット、別に、ただサボりたくて、離職後すぐに求職活動しなかった訳じゃないんです。

もう、心と体と頭が、限界迎える寸前だったんです。

 

このまま仕事を探しても、多分、同じところで苦しくなって、人生が楽しくないって思いながら、たくさんの時間が過ぎてしまうと思って、怖かったんです。

 

何がしたいのか、何が好きなのか。

何をしてる時に楽なるか、そして、喜びを感じるか。

 

それを探るには、やっぱり、最初は自分の心を知ることが大事だと考えました。

大学時代、心理学の授業を取ろうとするくらい、心のことにはとっても興味があったんですが、教授と、授業内容が好きじゃなくて、断念しました。

既に、鬱だったから、余裕が無かったんだな…(;’∀’)

 

ずっとずっと、本当は、心に携わる仕事がしたいと思っていました。

心が壊れてる人の心を、医学じゃないジャンルで、治してみたかった。

やりがいがあるし、自分と、相手の幸せに繋がるって、信じていました。

 

小説を書いてたのも、その思いからでした。

死にたい、苦しいって考えながら、毎日が嫌で仕方ない人達が、ほんの一瞬でもいいから、その思いを忘れてくれたら嬉しいなって。

 

ところが、その思いを忘れたまま、全く関係の無い仕事をして、長い年月が経って、人生で何回目かのどん底が訪れて、やっと、やりたかったこと、ちゃんと挑戦しようっていう気持ちになりました。

 

まだとっかかりだし、プロには程遠いけど、やりたいと思ってたことの輪郭が、うすぼんやりと、見え始めた気がしました。

 

自分を信じて、自分を満たしてみようって決めたら、確かに人生が動きました。

良いことも、悪いことも、全ては、自分の為に必要なことなんだって、そして、自分の誇りを傷付けるものは、遠ざけて構わないんだっていうことを知りました。

 

自分の価値に、初めて気が付きました。

生きてていいんだって、そう思えることが、どれほど心安らぐことか、初めて知りました。

 

私、幸せになれるかも。

そうしたら、怖さが減りました。

死にたいっていう気持ちには、別の意味があることに気が付きました。

 

明日どころか、5分先のことだって読めません。

目の前にある現実を見詰めて、脳味噌と心のピンとを、しっかり「今だけ」に合わせて、苦しさや怖さを反芻したり、先取りしたりしないことが大切だと分かりました。

 

私が私の為に生きることが、誰かの為に生きることに繋がって行く。

それが、幸せなんだなって、字面だけじゃなく、実感として、理解し始めた今日この頃です。

 

来月で、37歳かあ…。

正直、この年齢まで、無事に生きて来られて、良かったなって思います♡

 

それが何なのかは知らないけど、絶対に、守ってくれてる存在が、身近にたくさんあるってこと。

それを呼び寄せるのは、“生きたい”っていう、魂の叫びなのかもしれませんね。