自分を守ることを、言い訳だ!と責めていた。
私ミッサーシュミット、別に、ただサボりたくて、離職後すぐに求職活動しなかった訳じゃないんです。
もう、心と体と頭が、限界迎える寸前だったんです。
このまま仕事を探しても、多分、同じところで苦しくなって、人生が楽しくないって思いながら、たくさんの時間が過ぎてしまうと思って、怖かったんです。
何がしたいのか、何が好きなのか。
何をしてる時に楽なるか、そして、喜びを感じるか。
それを探るには、やっぱり、最初は自分の心を知ることが大事だと考えました。
大学時代、心理学の授業を取ろうとするくらい、心のことにはとっても興味があったんですが、教授と、授業内容が好きじゃなくて、断念しました。
既に、鬱だったから、余裕が無かったんだな…(;’∀’)
ずっとずっと、本当は、心に携わる仕事がしたいと思っていました。
心が壊れてる人の心を、医学じゃないジャンルで、治してみたかった。
やりがいがあるし、自分と、相手の幸せに繋がるって、信じていました。
小説を書いてたのも、その思いからでした。
死にたい、苦しいって考えながら、毎日が嫌で仕方ない人達が、ほんの一瞬でもいいから、その思いを忘れてくれたら嬉しいなって。
ところが、その思いを忘れたまま、全く関係の無い仕事をして、長い年月が経って、人生で何回目かのどん底が訪れて、やっと、やりたかったこと、ちゃんと挑戦しようっていう気持ちになりました。
まだとっかかりだし、プロには程遠いけど、やりたいと思ってたことの輪郭が、うすぼんやりと、見え始めた気がしました。
自分を信じて、自分を満たしてみようって決めたら、確かに人生が動きました。
良いことも、悪いことも、全ては、自分の為に必要なことなんだって、そして、自分の誇りを傷付けるものは、遠ざけて構わないんだっていうことを知りました。
自分の価値に、初めて気が付きました。
生きてていいんだって、そう思えることが、どれほど心安らぐことか、初めて知りました。
私、幸せになれるかも。
そうしたら、怖さが減りました。
死にたいっていう気持ちには、別の意味があることに気が付きました。
明日どころか、5分先のことだって読めません。
目の前にある現実を見詰めて、脳味噌と心のピンとを、しっかり「今だけ」に合わせて、苦しさや怖さを反芻したり、先取りしたりしないことが大切だと分かりました。
私が私の為に生きることが、誰かの為に生きることに繋がって行く。
それが、幸せなんだなって、字面だけじゃなく、実感として、理解し始めた今日この頃です。
来月で、37歳かあ…。
正直、この年齢まで、無事に生きて来られて、良かったなって思います♡
それが何なのかは知らないけど、絶対に、守ってくれてる存在が、身近にたくさんあるってこと。
それを呼び寄せるのは、“生きたい”っていう、魂の叫びなのかもしれませんね。