ミッサーシュミット臨戦態勢

モットーは性=生=死。毒な親から精神的自立をして、素敵なパートナーシップを築いて、楽しく笑って死ぬことが、最高に幸せだと思ってます(*'▽')当ブログはリンクフリー。記事のシェア&FacebookやTwitterのフォロー大歓迎💛

“死にたい”の正体は、“殺すぞ”だったΣ(゚Д゚)

昨日やっと、長年の希死念慮にさよならを告げようと、“私は死なない宣言”を、Twitterでさせて頂きました。←別にそんな物騒な感じじゃないけど(=゚ω゚)ノ

 

“死なない”って決めること。

私にとって、最大のタブーでした。

だって、本当に、本気で、洒落抜きで、自信無かったから(;’∀’)

 

っていうか、何か失敗した時、誰かに損害を与えた時、お詫びと言うか、

「ここまでやったんだから、もう責めないでよ(# ゚Д゚)」

っていう逆切れ的な感じで、死ななきゃいけないなって考えていたみたいです。

 

希死念慮自体は、高校の不登校の頃からありましたが、当時はただ単純に、“家庭内で精神力を使い果たして疲れて、やる気がなくなって、限界を超えてるから死にたい”だったと思います。

 

何故それが、“殺すぞ”に変わったか?

あ、もちろん、“自分で自分を”です。

他人様を、じゃないです(;’∀’)

 

何度も書いてるけど、本当に体調が悪くて、パニック症候群とか鬱状態で頭がおかしくなりそうなのを、必死でまともであろうと努力してた時、援助をくれていた父の機嫌を損ねたことで、無情にも援助を打ち切られてしまったことがありました。

 

こんなことが人生で2回あったので、もう、その後は父に期待しなくなりました。

妹も、同じような辛さを味わったので、

「ああ、そういう人なんだなあ」

と、諦めています

 

与えられた役目を果たせなかったら、嫌な思いをさせてしまったら、ペナルティとして、命を差し出さないといけないんだって、その時、強烈にインプットされてしまったようですorz

 

こりゃ…キツイよね。

仕事上でも、そうじゃなくても、人間関係が、常に円満に行くことなんて、有り得ないのに。

だからいつでも、死んでお詫び出来るように、準備してたんだね。

 

“私”なんてあっちゃいけない。

“自分”なんて主張しちゃいけない。

“お金をくれる人を第一に考えることが役割”なのだから。

 

ああ、何か、自分が可哀想になってきた(笑)

 

確かに、体調不良になっても、親に頼れずに、必死で行政とか福祉に頼らざるを得ない人もたくさんいるし、もしかしたら、ラッキーな部分もあったかもしれません。

だけど、私は、父の愛を、たくさん貰いたかった。

それが、お金という、不確かなものであったにせよ、私を大切なら、治療が終わるまで、元気になるまで、優しく見守ってくれるはずだ、と信じたかったんです。

 

結局期待も夢も失って、やけくそのまま、必死で仕事して、ちょっとずつ、病状も回復して。

だけど、頭と心の中に残った大きな傷は、ずっとそのまま放置されてたから、定期的にどうしても、酷く痛んで、身動きが取れなくなくことが多かった。

 

違うんだよ。

私は父に愛されなかったから、不完全で、価値の無い人間って訳じゃない。

母は、自分を大事にしなくて、何度も大金をドブに捨ててしまうような馬鹿だけど(笑)、私のことは愛してる。

妹も、祖母も、きっと同じ。

 

そして、血の繋がりの無い、友達も、私を愛してくれている。

はっきり自覚は無いけど、愛情を与えたいと思ってくれた男性だって、居たと思う。

 

私の命、誰かの機嫌の為に、使う必要は無い。

自分が幸せになる為、楽しく生きる為に、最大限に活かすことが、一番良い使い方。

 

もう、自分を殺さなきゃ、なんて、思わなくていい。

もう、自分を罰さなくていい。

誰かに死ねって言われたら、最大の力で抵抗していい。

 

ずっとずっと、本当に怖かった。

誰も助けてくれないって、頑なに考えてた。

 

でも、もういいかな、って思います。

自分が創り出した敵と戦う人生に、心底疲れました( *´艸`)

 

誰の為に生きていたんだろう。

今、初めて、そう感じています。

 

やっと…なのかな?

自信がある訳じゃないけど、怖さは、随分少なくなりました♡

 

また“死にたい”って思ったっていいや。

きっと、それは、もう叶わない気がします。

 

愛してるからって、何でもしてあげられる訳じゃない。

その事実に、ようやく気付くことが出来ました(*’▽’)