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ミッサーシュミット臨戦態勢

モットーは性=生=死。親からの精神的な自立をして、素敵なパートナーシップを築いて、楽しく笑って死ぬことが、最高に幸せだと思ってます(*'▽')

近道も寄り道も回り道も。

性=生と愛と心理

 今日もご訪問ありがとうございます♡(*’▽’)

 

「私なんか」

「どうせ」

「誰の、何の役にも立てないし」

 

人間って結構、実は、自分ひとりの為だけに頑張れるっていうことが無い生き物だと思います。

 

もちろん、自分の価値を認めて、尊厳や生命を脅かす存在に対しては必死で抵抗することが必要だけど、ただ自分のことだけ考えて生きているっていう人は、殆ど居ないのではないでしょうか?

 

最初に書いたような卑屈な気持ちも、“他者”という比較対象が居てこそ沸き起こるものだと。

 

「自分のことだけ生きて行きなさい。誰の気持ちも考えなくていい」

っていう育てられ方、恐らく大多数の人がしてないんじゃないかな(;’∀’)

 

どちらかというと、自分よりも、周りの世界を重んじなさい、っていう教育を受けているはずです。

 

心理学や性愛を知って、自分の内面にも大きな変化が訪れました。

 

“自分は世界の一部であり、世界の為に、貢献して生きることが役目”だと思ってたけど、それが、“目の前の世界は自分が創り出したものであり、まず自分のことを満たして、初めて周りの幸せに力を費やすことが出来る”になりました。

 

別にどっちが正しいとか間違ってるとかじゃなく、本人が幸せで、生きる上での様々な力を、上手く発揮出来る方を選べばいいと思うのです。

ただ、私には、後者の方が合っていたので、こういう考え方がある、と知った時、とても気が楽になりました。

 

「私って幸せ者♡」

「私、自分が大好き(*’▽’)」

そう思って生きている人、あまり見たことがありません。

 

学生時代もそうだし、仕事をするようになってからも。

っていうか、家族にも居ないや|д゚)

 

幸せの定義もイマイチ良く分からないけど、何となく、“欲しいものを手に入れて、好きな人達に囲まれて、悩みや苦しみに費やす時間が少ない、健康的な生活”みたいなことかな?と思います。

 

私自身、本当は自分が一番大切で、一番好きだと思っても、それを表に出して生きることは悪いことだと、つい最近まで考えていました。

また、実際に、そう公言する人が居ても、

「何か無理があるな…強引に自分にそう言い聞かせてるだけで、その裏側には、悲しみとか、とんでもない闇があるんじゃないか?」

なんて、疑ってました(笑)

 

「幸せ」って、いかに多くの人に愛されたとか、貢がれたとか、必要とされてるか、っていう、“自分が与えられたもの”をバロメーターにしがちだけど、他人の本音や本心は自分には正確に図れないことなので、これだと、いつまでも不足感とか、焦燥感が付き纏ってしまうような気がします。

 

絶対的に確信があるとすれば、“自分が信じて、愛して、与えたもの”だけなのかも、と、最近になって考えるのです。

 

したくてした、あげたくてあげた、信じたくて信じた、だったら、例え相手がどうあろうとも、瞬間瞬間の自分の選択をきちんと大切にしていることになるので、誰からも裏切られてない、ということになります。

 

期待とか、見返りとか、そういうものを念頭に置いて行動すると、結果は全て、他人の手に委ねられるので、思う通りに行かなかった時、とてつもなく大きな精神的ダメージを喰らってしまうのではないか、と、今までの経験から、感じています。

 

昔は、“時間を遣わせちゃうし…迷惑掛けちゃうから…馬鹿だって思われるのも恥ずかしいし”みたいな、余計な感情が働いて、なかなか他人様に相談とか、納得行くまで話し合うとかが出来ませんでした。

自分の感情や考えより、他人を尊重することが正義だと勘違いしていたので、とてつもなく苦しかったです。

 

私は何でも一人で解決出来るような賢い人間じゃないし、幸い、周りの人達は、色々な経験を積んで、尚且つ、人の苦しみを理解する優しい心を持った人達ばかり。

それなら、素直に、分からないこと、知らないことを教えて貰って、どうしても解決出来ない問題は、一緒に考えて貰えば良いのだ、と、今になってようやく、そんな当たり前のことに気が付きました。

 

お礼を言ったり、何か感謝の意を表現するのは好きだし、知らなかったことを新しく知ることも大好き。

昔から、勉強が好きだった(苦手科目以外は)けど、正に、こういう性格にはぴったりだったんだな、と思います。

 

何かやらかしたり、全く何を言われているか理解出来なかったり、本格的にその分野の能力が欠如していることを知ったり、そんなことで自信を無くすことはたくさんあります。

或る程度、努力でカバー出来るものもあれば、悲しいくらいに出来るようにならないこともあるので、“完全無欠”“オールマイティ”な人間になれるとは、全然思わないのです。

 

無いものを補い合うのが人間で、その為には、“助けて貰う”“出来ないことをきちんと伝える”能力が必要になる。

余程嫌われていたり、心に余裕が無かったり、という場合でなければ、ちゃんと、救いの手を差し伸べてくれる人が居るからです。

頼られる、助けを求められるって、私もそうですが、“自分が役に立ってる”っていう、生きる喜びを感じることが出来ます。

だから、恥とかプライドよりも、こっちの方が、とっても大切です。

 

運や縁もあるから、一概に、努力とか頑張りとか根気が足りない、とは言えないのに、つい、平均化して見てしまって、平均値を下回る人を馬鹿にしがちだけど。

 

どんな生まれや育ちの人にも、誇りや生存本能があって、勝手な善悪とか、上下関係の判断基準を以て、それを脅かすということは、即ち、殺されても仕方ない、ということ。

 

卑屈でも、呆れるほどの低姿勢でも、生きる気力の感じられない生き方をしていても、やはり人は皆、誇りと、強い生命の輝きを内に秘めて生きています。

 

誰かが、また、社会的に権威のある何かが、自分の存在価値を認めてくれないとしても、自分だけは、自分をちゃんと守る、って決めて、明るい未来に続く道を進む覚悟を、事あるごとにするだけで、もしかしたら、人は、いつの間にか、幸せになれているのかもしれない。

 

幸せは、高額当選の宝くじのように、或る日、一気にズドンと来るものではないのだろうな、と、さすがに、もう分かって来ました。

 

足元と、目の前の自分の世界をしっかり見て、違和感や切迫感を丁寧に取り除いて、自分の気持ちに対しては常に本気で、まずはその日だけを、きっちり生き切る。

それが出来る人になりたいなあ、と思うのです。

 

誰かが、サプライズで“幸せ”をくれるのは、きっと、その後なんだろうなあ…。

 

  

【ミッサーシュミット、20代まで小説家志望でした♡( *´艸`)】

misserschmitt2323.hatenablog.com          ※官能小説も連載中♡