その犯人、冤罪だったらどうする?
久しぶりに母に会って、疲れて、早く寝ようと思ったけど、何で自分が凹んでるんだろうって、逃げずに掘り下げてみたら、色々な考えが浮かんで来ました。
もしもウチが、平和で幸せに満ち溢れた家庭だったら、きっと地元で、何の疑いも無く、結婚&出産してただろうな、と思います。
精神不安も自殺願望もなく、ただ普通に、女性としての幸せを、ありのままに受け止めながら。
でも、私の人生は、そうじゃなかった。
ただ、それだけなのです。
マイナスに次ぐマイナスの中にも、力づくで、でっかいプラスを見出して、両足を折られながらも、そっちに向かって匍匐前進しまくって、必死で笑いの種を探しながら、生命力を強化して生きて来ました。
素晴らしい友達や、仲間との出会いがあった。
笑いが絶えない楽しい時間があった。
誰かを好きになることの喜びも、報われないことの苦しみも味わった。
お金のありがたみと、自分の価値は決してイコールでないことを知った。
大好きな人が幸せだと自分も嬉しくて、悲しんでいると、自分も辛くなった。
それはそれで、とっても誇らしい生き方じゃないか。
他人が同じ生き方をしていたら、褒め称えると思います。
そう思うのに、今までそこから目を逸らして、”マトモじゃない自分”に劣等感を頂いて、自分を褒めたことがありませんでした。
軽蔑されたくないし、批判もされたくないのに、自分が一番、自分にそうして来ました。
だから、世界は生き辛くて、お前なんか早く死ねって言われてるような気がして、幸せになっちゃいけないんだって、強くブレーキを掛けてました。
誰が私に、死ねって言ったのか?
浮気を繰り返して、男性不信を植え付け、気に入らないことがあると、病気で働けない私に経済的制裁を加えた父か?
性的トラウマを植え付けた祖父か?
本当は、誰も私に、死ねなんて言ってない。
ただ、父も祖父も、切なさややるせなさを、分かって欲しかったのに、それを上手く伝える術を持って居なかったんだと、思います。
それが私を、深く傷付ける行為であったとしても、そうしなければ、生きて行けなかったのでしょう。
私は常に、こんな風に思っています。
愛して欲しい。
守って欲しい。
寂しさを理解して欲しい。
優しい時間を共有したい。
弱さを曝け出したい。
世の中の人達の多くも、同じではないでしょうか?
他人を助ける余裕なんて無いとか、どうせ誰の手助けも出来ないとか、つい自分の力を過小評価してしまうけど。
例え一分一秒でもいいから、好きな人にだけでいいから、あなたのことが大切ですって伝える勇気を出し惜しみしなかったら、もしかしたら、世界は変わるかもしれない。
救えないし、助けることは出来ないけど、愛を伝えて、幸せに生きて欲しいと伝えることは出来ます。
考えてみると、私は何度も、好きな人達からの、こんな言葉や態度のお蔭で、今日まで生きて来られました。
私の人生は、誰かの人生の一部です。
逆も同じ。
だから、他人を大切に出来るのなら、間違いなく、自分のことも大切に出来るはず♡
本当に小さな小さな、極薄の0.01㎜のコンドームよりも小さな単位でいいから、ちょっとずつ、変わっていければいいな、と思います(*’▽’)
自分の不幸を願っている人なんか、誰もいないってことに気が付いたら、絶対に、人生は変わると信じています♡
また今日から、新しい気持ちで進んで行きたいです。
【20代に書いた小説のブログ♡】