人は愛情の循環器。
お金に不安を持つことで、
「どうせ私は親に愛されて大切にされなかった」
っていう思いを握りしめ続けていたような気がします。
男女を問わず、私と同じ考えを持つ人は多いと思うのですが、
「この人とセックスしたい♡」
って時は、付き合うとか結婚するとかは抜きで、純粋に計算抜きの相手への好意があるのではないでしょうか。
だけど、恋愛や結婚には色んな密約(笑)、暗黙の了解、経済的負担の役割、世間体、周りからの評価っていう、たくさんのオプションが付きまといます。
いつでも、好きな人達にお金と愛情を与えられる自信のある人は、少なくなっても何故かどこかから補充されるから、初めから無くなる心配をしない。
逆に、小さい頃から、愛にもお金にも不安があって、本当はそうでもないのに、どちらも自力で全て蓄えて来た、と考える人は、どちらもたくさん持っていても、常に猜疑心でいっぱいです。
「好意なんて嘘で、自分の愛とお金目当てなのでは?」
「ただセックスしたいだけで、自分の心には興味が無いのでは?」
「奪われないように、損しないように見張って、自分をしっかり保ってないと、誰も味方の居ないこの世界で路頭に迷ったら、もう終わりだ」
搾取されないように、傷付かないように、身を固くして、周囲を敵視している状態。
人を信じない、人を疑って生きるって、とてつもなく疲れる行動です。
だから、本当は寂しくて、誰かに寄り添って生きていたくても、自分の中にあるなけなしの財産を奪われるよりは、と、1人で居る道を選択することが多いです。
だけど、考えてみたら。
「奪われる」
って感じるのは、自分が確かに、愛情やお金がたくさん創り出して、持ち続けていられるからなのに。
与えたら、二度と得られないんじゃないかって怖がっているから、誰か、あげたい人が現れても、出し惜しみしちゃって、後悔して、自分のことを責めて、勝手に世界を嫌いになっている。
血の滲むような思いをして、歯を食い縛って、泣きながら貯めたもの。
馬鹿にされないように、自分だって真っ当に生きる資格はあるんだと認められたくて、愛し愛される関係に憧れて。
だけど、いざとなると、自分の「愛の定義」に自信が無くて、気持ちが揺らいで、数少ない経験で正解を求め過ぎて、失敗を恐れて。
愛し過ぎて傷付かないように、相手の瑕疵を見つけ出して、非を責めて、自分の内面に深入りさせないようにして、身の上に変化が起こらないように、現状を維持させる。
そんなにしてまで孤独で居る理由は多分、「自分に傷を負わせた誰かへの復讐が完了していないから」。
例え相手から愛を与えられたことがあっても、「これは何かの取引で、交換条件があるはずだから、自分は更に大きく相手に返さないと」と警戒して、素直に受け取らない。
私の場合、心がそんな状態になった時は、まず例外無く全身が、「子供の頃=辛かったあの頃」に戻っています。
不毛で空しくて、徒労だって、本当は分かっているのに、自分を辛く苦しい状態に置き続けることで、両親にアピールしているのです。
「もっと愛して欲しかった、可愛がって欲しかった」
「生きる為の強さ、優しさを、親の力で身に着けさせて欲しかった」
「あんた達がそうしてくれなかったから、私は不幸なんだ」
私がこんな生き方をしていたから、好きになる男の人達も、同じようなタイプが多かったです。
今までは、ここまで自分を冷静に(泣いて恥搔いて苦しみながらも)分析出来ていなかったので、相手も同じ気持ちなんだと気付かず、いつも奪われているように感じて、被害者意識を持っていました。
決して嫌われている訳でも、蔑ろにされている訳でもなかった。
ただ単に、お互いが、愛情の与え合いが下手くそなだけだったのだと、ようやく知ることが出来ました。
最近、ちょっとずつ、好きになった相手に愛を与える勇気と、自分にもそれが出来るかもという期待と、それだったら嬉しいなという、「損を恐れない心」が、生まれ始めているのを感じます。
難しく複雑に考え過ぎていただけで、本当は、とても簡単なことなのかもしれないと、感じ始めています。
出来るかどうか、より、もう既に出来ている、と、その気になって、行動してみようと思います。