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ミッサーシュミット臨戦態勢

モットーは性=生=死。親からの精神的な自立をして、素敵なパートナーシップを築いて、楽しく笑って死ぬことが、最高に幸せだと思ってます(*'▽')

人は愛情の循環器。

性=生と愛と心理

お金に不安を持つことで、

「どうせ私は親に愛されて大切にされなかった」

っていう思いを握りしめ続けていたような気がします。

 

男女を問わず、私と同じ考えを持つ人は多いと思うのですが、

「この人とセックスしたい♡」

って時は、付き合うとか結婚するとかは抜きで、純粋に計算抜きの相手への好意があるのではないでしょうか。

 

だけど、恋愛や結婚には色んな密約(笑)、暗黙の了解、経済的負担の役割、世間体、周りからの評価っていう、たくさんのオプションが付きまといます。

 

いつでも、好きな人達にお金と愛情を与えられる自信のある人は、少なくなっても何故かどこかから補充されるから、初めから無くなる心配をしない。

逆に、小さい頃から、愛にもお金にも不安があって、本当はそうでもないのに、どちらも自力で全て蓄えて来た、と考える人は、どちらもたくさん持っていても、常に猜疑心でいっぱいです。

 

「好意なんて嘘で、自分の愛とお金目当てなのでは?」

「ただセックスしたいだけで、自分の心には興味が無いのでは?」

「奪われないように、損しないように見張って、自分をしっかり保ってないと、誰も味方の居ないこの世界で路頭に迷ったら、もう終わりだ」

 

搾取されないように、傷付かないように、身を固くして、周囲を敵視している状態。

人を信じない、人を疑って生きるって、とてつもなく疲れる行動です。

だから、本当は寂しくて、誰かに寄り添って生きていたくても、自分の中にあるなけなしの財産を奪われるよりは、と、1人で居る道を選択することが多いです。

 

だけど、考えてみたら。

「奪われる」

って感じるのは、自分が確かに、愛情やお金がたくさん創り出して、持ち続けていられるからなのに。

 

与えたら、二度と得られないんじゃないかって怖がっているから、誰か、あげたい人が現れても、出し惜しみしちゃって、後悔して、自分のことを責めて、勝手に世界を嫌いになっている。

 

血の滲むような思いをして、歯を食い縛って、泣きながら貯めたもの。

馬鹿にされないように、自分だって真っ当に生きる資格はあるんだと認められたくて、愛し愛される関係に憧れて。

だけど、いざとなると、自分の「愛の定義」に自信が無くて、気持ちが揺らいで、数少ない経験で正解を求め過ぎて、失敗を恐れて。

愛し過ぎて傷付かないように、相手の瑕疵を見つけ出して、非を責めて、自分の内面に深入りさせないようにして、身の上に変化が起こらないように、現状を維持させる。

 

そんなにしてまで孤独で居る理由は多分、「自分に傷を負わせた誰かへの復讐が完了していないから」。

例え相手から愛を与えられたことがあっても、「これは何かの取引で、交換条件があるはずだから、自分は更に大きく相手に返さないと」と警戒して、素直に受け取らない。

 

私の場合、心がそんな状態になった時は、まず例外無く全身が、「子供の頃=辛かったあの頃」に戻っています。

不毛で空しくて、徒労だって、本当は分かっているのに、自分を辛く苦しい状態に置き続けることで、両親にアピールしているのです。

 

「もっと愛して欲しかった、可愛がって欲しかった」

「生きる為の強さ、優しさを、親の力で身に着けさせて欲しかった」

「あんた達がそうしてくれなかったから、私は不幸なんだ」

 

私がこんな生き方をしていたから、好きになる男の人達も、同じようなタイプが多かったです。

今までは、ここまで自分を冷静に(泣いて恥搔いて苦しみながらも)分析出来ていなかったので、相手も同じ気持ちなんだと気付かず、いつも奪われているように感じて、被害者意識を持っていました。

 

決して嫌われている訳でも、蔑ろにされている訳でもなかった。

ただ単に、お互いが、愛情の与え合いが下手くそなだけだったのだと、ようやく知ることが出来ました。

 

最近、ちょっとずつ、好きになった相手に愛を与える勇気と、自分にもそれが出来るかもという期待と、それだったら嬉しいなという、「損を恐れない心」が、生まれ始めているのを感じます。

 

難しく複雑に考え過ぎていただけで、本当は、とても簡単なことなのかもしれないと、感じ始めています。

出来るかどうか、より、もう既に出来ている、と、その気になって、行動してみようと思います。