思春期、甘酸っぱい思い出など皆無。
私が何十人の前で泣いた話はまた別の機会に…。
昨日のビリーフチェンジ・入門講座の後、家族に対する感情が色々と甦って来て、処理が大変です(;’∀’)
拗れた感情って、ちゃんと解きほぐしておかないと、ずっと引きずってしまうんだなあって痛感しました。
今日は、中学・高校時代のカオス期の、或る1日を振り返ります。
高校時代、私も妹、急に体調と精神状態が悪くなって…まるで、同時に鬱になったような感じでした。
朝起きられなくなった私は不登校になりましたが、妹はたまに休むくらいで、辛うじて学校に行っていました。
本当は辛いのではないかと思って、妹に、
「あんた良く行けるね」
と、賞賛と、大丈夫か?という気持ちを綯い交ぜにして、声を掛けました。
「だって、具合悪いっち言っても、姉ちゃんの真似せんでいいっち言われるもん」
確かに妹は、大げさで、構われたがりな性格です。
でも、これは無いだろ…と思いました。
どれだけ傷付いたか、どれだけ心が打ちのめされたか、今考えるとゾッとしますが、当時の私はこのことを、母に問い質しはしませんでした。
妹が可哀想だとは思ったけど、助けてあげられる気力は無く、もし親の機嫌を損ねて自分の不登校ライフに危機が訪れたら、生きて行けないと思ったのかもしれません。
自分の暗部を曝け出すのには勇気が要りますが、敢えて書きます。
元々両親は、夫婦仲がとても悪く、長女である私が、2人のクッションのような役割を果たしていました。
父には、父からしたら全く至らなく見えているであろう母の言動のフォロー、父の言動に疲弊した母に対しては、精神の糸が切れないように気を配っていました。
学校でも友達には、うちの中で起きた笑い話ばかりを中心に話していたので、外部からは、平和なごく普通の、面白いお父さんとお母さんの居る家庭に見えていたと思います。
私は既に、「子供」ではなく、まるで我儘な芸能人2人のマネージャーのような仕事をしている大人のようだったなあ、と今は思います。
もちろん100%嫌な思い出ばかりではないけど、やっぱり、幾分年齢よりは落ち着いていたとはいえ、まだ10代の子供には、荷が重かったに違いありません。
中学2年頃から私は非常に太り、身長は163㎝ですが、一番酷い時は、75㎏を超えそうになる時もありました。
その後の人生でも何度か大幅に太ることがありました。
そんなに大きく体重が変わらなくなれたのは、ようやく、ここ数年のことです。
これからは、健康的に筋肉質な体になろうとしています♡
家の中の平和をきっちり守ろうとする私と対照的に、妹は中学2年生から恋人を作り、9時過ぎまで家に帰って来ないことが増えて来ました。
恋人が出来ればダイエットで急激に痩せ、別れたら急激に太り、という感じでした。
明らかに摂食障害の兆候が表れていて、今もその傾向はあります。
当時の、家庭を何とか結びつけようとしている私には、感情のままに動いて、親を困らせて、平穏な空気を乱す妹は、異分子のように思えました。
まるで、妹を除いた、両親と私だけが家族のような気分だったので、きっと、その気持ちは伝わっていたと思います。
妹は決して、間違えていませんでした。
私は自分に嘘を吐き、勝手に良い子をして、
「家族の中で養って貰うために、生きるために、これだけ大変なのだから、他人からお給料を貰う仕事とは、もう想像を絶する辛さに違いない」
「夫婦関係を維持し、子供を育てていくということは、これほどの苦痛を伴うのであれば、私は恋愛も結婚も嫌だ」
という恐怖感とトラウマを、心に深く植え付けてしまいました。
男女関係のトラウマは、父のことだけではありませんが、それはまた別の機会に書きたいと思います。
ですが、それも父に相談していれば、もしかしたら、悪い結果にはなっていなかったのかもなあ、と、今になって考えたりします(;’∀’)
個性を否定され、両親にとっての悪い子であるという烙印を押された妹は、学校に馴染めなかったこともあり、思春期は、男性に依存するしかなかったのだと思います。
自己否定感が私とは違う方向で体に不調を引き起こし、成人して何年も経ってから、本格的な発達障害を発症しました。
恐らく元々は持っていた小さな種が、様々な心の傷でおかしな化学反応を起こしてしまったのだと思います。
妹は結婚したものの、大幅に体調を崩して実家に帰り、1年半が経つ今も、通院の為に実家に居て、夫とは別居婚状態です。
そして、昔の私がしていたように、母と祖母と、母の弟夫婦の折衝役になっています。
自分の問題ではないのに、しなくても良い心配をして、皆のストレスを和らげることが自分の仕事あるように、そこで何かの役に立たなければ、生きている価値が無いように、恐怖感と戦いながら、実家に留まっているのかもしれません。
私はもう、家族の心配を自分のことのように考えて、一緒に背負うのは止めてしまいました。
妹にも止めろと言いたいけれど、自分でそこから逃げようと思えない内は、余計なことは言わずにおこうと思っています。
考えてみれば、我が家の人間は、家族以外のセーフティーネットを作る術を、知らないのかもしれません。
悪いことが起きるのは自分が悪いからで、誰かに甘えて頼るべきではない、という強い思い込みがあるような気がします。
愛される価値が無いと思って育っているので、その価値を勝ち取る為に、いつも何かの、世間や常識や、例え自分を大切に扱わない人でも、その人を夫と選んだのは自分であるならと、そういう存在の奴隷として生きています。
私は、その世界から逃げ出したい。
自分を責めることが日課のような毎日を捨てたいのです。
今はまだ、苦しんで悩んでいる人達に、
「私でも変われました!あなたも絶対大丈夫♡」
と、確信を持って伝えることは出来ません。
だけどいずれは、自信を持ってそう伝えられる人間になりたいと思っています。
その為に、昔自分で叩き割ってしまった、愛を受け取る器を、なるべく急いで修復して、再び自分自身を、愛で満たせるようになろうと決めています。
搔ける恥は搔くし、流せる涙は流します。
そうしたら、その分、誰かの痛みが分かる人間になれるだろうと信じています。
このブログは、その記録になればいいなと思うのです。
数年後、
「うわ~そういえば、こんな暗い、どん底の時代があったなあ…今思えば、あれも必要な過程だったんだなあ(*’▽’)」
って、しみじみと感じられるようになっていたいと願っています。